特許名 | Electro-Magnetic Motor | |
特許番号 | No.381,968 | |
請願年月日 | 1887.10.12 | |
取得年月日 | 1888.5.1 | |
原理 |
テスラが最初につくった交流モーターは、二相誘導モーターと呼ばれるものである。その基本原理は次の通りである。 二相交流発電機によってつくられた90度の位相差をもつ交流を、二組のコイルを直角に交わらせた固定子に流す。すると電流の変化に応じて固定子の磁束が変化し、これを合成すると回転する磁界(回転磁界)がえられる。 この回転磁界の中に導体でできた回転子を置くと、電磁誘導作用によって回転子に電流が流れる。この電流と回転磁界の作用によって、回転子には磁束の回転方向と同じ力が働き、これによって回転子が回りだす。 二相交流モーターを発展させたのが三相交流モーターである。三相交流モーターは三組のコイルを120度の間隔で配置し、これに三相交流を流して回転磁界を発生させたもので、もっとも効率がよい交流モーターとされている。 | |
背景 |
交流モーターの原理は「アラゴの円盤」にある。アラゴの円盤とはフランスのドミニク・フランコ・ジャン・アラゴが1824年に行った実験の名称である。磁針を銅などの円板の近くに置いて、円板を回転させると、磁針が回転板から影響を受ける。これは、電磁誘導によって磁針に電流が生じたためで、のちにファラデーによる電磁誘導の発見につながった。 そのファラデーは1831年、コイル中の磁石の運動によって起電力が発生することを確認、さらにアラゴの円盤を利用して、長時間持続的に発電を行わせることに成功した。 ファラデー以後、発電機やモーターの研究が始まったが、初期のものほとんどが直流を使っていた。その後交流発電機やモーターの研究が行われ、しだいに交流送配電の優位が説かれるようになった。一方、発明王エジソンは直流による送配電システムを推進しており、交流派と鋭く対立するようになった。しかし交流陣営にとって致命的だったのは実用的な交流モーターが存在しないことだった。 1880年から90年代にかけての時期は、電気技術史上、一大革新の時代であった。伝統の実用化によって電力産業発展の展望がつくりだされていたが、電力技術は電灯だけに限られるものではない。……新しい動力技術が要求されていた。これまで工業や運輸において主要な原動機であった往復運動式の蒸気機関ではこの要求を満たすことはできなかった。しかし、交流技術としてはまだ実用可能な交流電動機がまだ存在していなかった。(山崎俊雄、木本忠昭『新版電気の技術史』から) この難題を突破したのがテスラの二相誘導モーターだった。早くから交流の実用化に乗り出していたジョージ・ウェスチングハウスはただちに特許の意味を見抜き、高額でこれを購入した。こうしてテスラとウェスチングハウスは手を結び、交流の時代に向けて大きな一歩が踏み出したのだった。 | |
テスラの発想 |
今でもはっきりと覚えているが、わたしは詩を暗唱しながら友人のひとりと市立公園を散歩していた。
当時は本一冊を一字一句覚えていたものだったが、その中にゲーテの「ファウスト」があった。日は没したばかりで、あたりは残光に包まれていた。 太陽は刻々に傾いていく。もう一日が終わるのだ。 日は西の国にいって、また新しい生活をうながすだろう。 地上をはなれて、どこまでも、 夕日を追っかけて飛んでゆく、そのつばさがおれはほしい。(大山定一訳) こうした霊感に富んだ言葉を発するにつれて、アイデアが閃光のように訪れ、ただちに真実が明かされた。わたしは枝切れで砂に図を描いたが、その図は六年後にアメリカ電気工学者協会で講演したものと同じだった。 (ニコラ・テスラ「わが発明」から) 5年余りの苦闘。その果てに夕陽の中で、不意に訪れた直観。こうしたエピソードは天才伝説として読めば確かにおもしろい。本人が直接語った話であるし、一緒に散歩していた友人の証言もあるから事実にはちがいない。しかしこのようなエピソードをあまり強調しすぎると、またもやテスラを過剰な神秘のベールで包むことになりかねない。テスラが回転磁界の発想をいかにしてえたかについて、説得力のある議論を展開できたものはまだいないが、ここにテスラ研究の中心的なテーマがあることはまちがいない。 |