これまで読んできた本の中から特に気に入った作家と作品を紹介します。ほかにもたくさんいますので、順次追加していきたいと思います。

作 家 主な作品コメント
安部公房 『砂の女』今読み返すと、理が勝ちすぎているような気もするが、変幻自在な砂のイメージは捨てがたい。
梶井基次郎 「闇の絵巻」かつての文学青年のアイドル。高校の教科書に載ったこの作品でぼくも日本文学の魔にめざめた。

中島敦
『わが西遊記』若書きだが、清潔な魅力がある。求道者西蔵法師、行動者孫悟空、現実主義者猪八戒など登場人物もそれぞれに魅力的。ぼくは悩み多き文学青年タイプの沙悟浄に学生時代の己を仮託した覚えがある。
中井英夫『虚無への供物』無への捧げ物という企図は壮大だが、不思議な軽やかさ、さわやかさがある。作者の思考が柔軟だからだろうか。これとは別に、怨念渦巻く短歌評論やエッセーも一読の価値あり。
国枝史郎『神州纐纈城』国枝の作品は残念ながらこれ一作だけ。天魔空を行くが如き、ストーリーテラーぶりに圧倒された。
谷崎潤一郎『武州公秘話』谷崎の時代物はいつも物語の世界にどっぷりひたらせてくれる。『少将滋幹の母』もよい。
司馬遼太郎『坂の上の雲』子供のころ、近所の映画館で『明治天皇と日露大戦争』という映画を見た。二百三高地に突撃する日本兵が、ロシアの機関砲でバタバタと倒されていく。何度やられても同じ吶喊攻撃を繰り返すのが、恐ろしくもあり、はがゆくもあった。
当時は無謀な玉砕攻撃の理由がよくわからなかったが、この作品を読んで納得できた。映画の中では美化して描かれていた乃木将軍と参謀長伊知地幸介の作戦が拙劣だったのである。
この時、総司令官大山巌に直訴して乃木から指揮権を譲り受け、日本軍の窮地を救ったのが智将児玉源太郎だった。おかげでこの小柄な将軍のファンになり、江ノ島島内にある児玉神社にお参りまでしてしまった。
池波正太郎『剣客商売』主人公秋山小兵衛の円熟の境地もさることながら、男装の美剣士三冬の初々しさが心に残る。恋人を思いつつ湯船の中でそっと乳房を抱くシーンはとくに印象的。時代小説の名匠は概して女性を描くのがうまいが、池波も例外ではない。若いころ読んで感激した「卜伝最後の旅」は剣豪塚原卜伝の最晩年を描いた秀作。のちにこれが池波作品と確認できてうれしくなった覚えがある。
小松左京『果てしなき流れの果てに』SFを読み始めた若いころ、彼の壮大な宇宙進化論に魅せられたことがある。この作品は、超越論的現象学と進化論を武器に、マルクス主義の乗り越えを企図した野心作。戦後、京大イタリア文学科を卒業したこの作家の中にも、近代の超克を唱えた京都学派の血が濃厚に流れていることがわかる。
超越性を未来に求めるのは戦後文学の特質だが、著者の独創は認識主体を個ではなく人類に置き、種としての認識の進化に革命の希望を託した点だろう。しかしこの進化は、知性の無限進化といったドグマを前提にせざるをえず、そこに本質的困難さがあった。すべてを含めて戦後思想とSFの矛盾をもっとも体現した作品といえるかもしれない。

筒井康隆

「マグロマル」
これほど考えずに笑わせてくれた作家はいなかった。その作品はいずれもサルバトール・ダリを思わせる過剰な論理性、過剰な描写力に支えられていた。「火星のツァラトゥストラ」「ベトナム観光公社」なども傑作。最近では『パプリカ』が超一流のエンタティナーであったことを再認識させてくれた。

フランツ・カフカ

『城』
浪人時代に読んで、おれは一生「城」(大学)に入れないのではないかと悩んだ。結局、文科系への転向という抜け穴をみつけてもぐりこんだが、四年後、ようやく城を出たと思ったら、こんどは市役所という城にはいっていた……。
マルグリット
・ユルスナール
『東方綺譚』芸術至上主義とエキゾチシズムの極致。いつか、こういう小説が書ければと思いつつ……。
J・G・バラード『残虐行為展覧会』これを読めば、彼が20世紀の予言者のひとりであることがよくわかる。〈ヴァーミリオン・サンズ〉のようなセンチメタリックな短編も悪くない。
フィリップ・K・ディック『火星のタイムスリップ』はじめはなかなか面白さがわからなかったが、一つ腑に落ちればあとは雪崩を打って。ただ、これ一冊という選択がむずかしい。
オルテガ・イ
・ガセット
「視点の理説」西部邁の影響もあってか『大衆の反逆』ばかりが有名だが、科学論や芸術論、エッセーなども読み応えがある。ぼくにとっては哲学の面白さをおしえてくれた哲学者。
ルードウィッヒ・ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』テスラがひたすら発明したようにウィトゲンシュタインはひたすら考えた。

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